クリエイターインタビュー トーチカ

アートでフラットに。鑑賞者と表現者の垣根をとりはらおうと願い、活動を続ける1人称が『みんな』なクリエイターユニット『トーチカ』

人のつながりから生まれるクリエイターの原点

京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)の大学時代に知り合い活動をスタート。
今年で活動は25年目を迎える。

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写真左:モンノカズエ 写真右:ナガタタケシ
現在、開発中のARグラフィティウェブアプリ『STREET WRITTER』で梅小路公園の路面電車にARでユニット名を描いた。

トーチカ公式サイト

30秒の映像コンペのための動画を共同制作し入選したことをきっかけに活動をスタート。多くの大学の先輩が業界で活躍していたので、そこから多くの仕事をもらっていたという。将来のなりたいビジョンの見える先輩がたくさんいたことは活動する上での道標になったという。

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モンノ氏の作品
CATTLE MUTILATION

模型の上にドローイングの切り絵を乗せた写真作品。高さ6メートルのサイズに印刷して京都市美術館(現京セラ美術館)で展示した。

音楽専門チャンネル「MTV」の日本版MTV Japanで放送局のアイデンティティやメッセージを伝えるステーションID映像としてこの『CATTLE MUTILATION』のストーリーを元にしてアニメーション化した。当時興味を持っていた狂牛病やクローン羊のニュースやキャトルミューティレーションや西洋の宗教画の構図やモチーフの持つ意味、メタファーやシンボル、文脈など自分達の「面白い」を追求していった。

2000年代初頭は、まさに就職氷河期で仕事に就きにくい時代でもあったので就職は考えておらず、在学4年時は、特定非営利活動法人「芸術と計画会議(C.A.P.)」が旧神戸移住センターを使って企画・運営するアートプロジェクト『CAP HOUSE』で、現代美術作家の椿昇氏の制作のアシスタントするなどをしていた。そしてその後同スペースでクリエイターとして活動をスタートした。

2002年ナガタはアニメーションの制作会社『ユーフォーテーブル有限会社』へ所属し、モンノはフリーランスとしてミュージックビデオなどのアニメーション制作をはじめ、拠点を東京に移した。

働きながらクリエイターとしての活動を探り、もがく時代だったのであろう。SNSやインターネットの黎明期であったことでSNSを通じて多くの人とつながれる時代だった。そう考えると、タイトルの通り、『みんな』とともにいるクリエイターなのだと感じた。

ライトアートの原点

CAP HOUSEでの夏休みの企画で、子供をターゲットに持ち寄ったぬいぐるみの「コマ撮り」アニメーションのワークショップを行っていた。
「コマ撮り」には忍耐が必要なことから、よく動きまわる子供たちを撮影することにし、また暑さから夕方に実施する条件も重なり、懐中電灯を持ってただ走りまわるストップモーションアニメーションも始めてみた。大学時代にアナログスチルカメラの長時間露光で撮影する技法を恩師である実験映画作家・映画監督である伊藤高志さんから学んでいたこともありすんなりはじめることができた。アナログ時代は、化学薬品を使った「現像」という工程を挟むため、絵をすぐ確認することはできなかったが、当時のデジタルスチルカメラの進化で長時間露光して撮影した写真をフィルムの残量も気にせず何枚でも撮影できることから、PIKAPIKAの原型がこの時に出来上がった。その頃、直感的にライフワークになり得ると確信を覚えたという。

2004年に日本初のSNS『mixi』が始まった。アニメーションの制作会社を退所し、フリーランスとなった。その中でショートフィルム研究会(仮)というコミュニティーを管理人として立ち上げた。作ることが好きでその業界に入ったものの、作りたいものが作れない人たちの表現の場としてオフ会を企画するようになった。

2005年より仕事の傍ら、上映会やワークショップを企画した。PIKAPIKAは参加者の野外での遊びや対話を楽しみながら記念撮影がてらに実施していた。

VJをやってみたいという想いがあってmixiで見つけた募集に飛び乗り、月1回程度で活動する中、評判を呼び、活動が増えていった。フロアで踊る人にライトを渡して一緒にVJの素材をライブで作るなどしていた。

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VJイベントの様子

2006年、一年以上コミュニティーを続けて制作したフィルムが、オタワ国際アニメーションフィルムフェスティバルで受賞した。それを皮切りに第10回文化庁メディア芸術祭で優秀賞を受賞。メディアアートや映画祭での活躍の舞台が増えた。また世界16か国でのワークショップを行いその様子が小学校の図画工作や中高の美術の教科書にも掲載され、メディアアートの教育にも取り入れられた。

ステージでパフォーマンスをしている人達

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東アジア文化都市2017京都で行ったPIKAPIKAワークショップの様子

2011年3月11日、東日本大震災が発生。『きみでいて ぶじでいて』というメッセージビデオを作ったことをきっかけに、震災ボランティアを行いながら、泥かきや家の修復、支援物資の整理、炊き出しなどを行った。津波ですべて流された光景を見、物の価値や豊かさの意味を考えるようになったという。

震災をきっかけに電気をできるだけ使わず太陽光の反射で描いた映像作品『ReBuild』や集光レンズで木材に線を描いたインスタレーションを作り始めた。

2011年より環境にやさしい、未来の夜景のあり方を考えるイルミネーションイベント『スマートイルミネーション横浜』がスタートし、市民を巻き込みながら制作した。記録映像。そのほか、生命の誕生から人類が火を発見して光を操ることができるまでを描いたTRACKという作品も2年にわたって制作を行いオランダ国際アニメーション映画祭をはじめとしていくつかの映画祭でグランプリをはじめとする評価を得た。

2017年よりオランダで1年間の滞在機会を得て、映像の起源のリサーチをした。電気がなかった時代の映像装置の成り立ちなどを博物館などで調査し、3Dプリンターやレーザーカッターなどデジタルファブリケーションを利用して新しい方法で映画の映写機を復刻する方法を模索して発表を行った。

2018年にオランダのアムステルダムライトフェスティバルで発表した「NEIGHBOURS」は、状況や環境を強く意識したものづくりをしていることが印象的である。

ARで作りたい未来について

『アーティストのひとつの重要な役割は先端技術がどのように人間の意識を変える可能性を持っているかを実際に作品を作って見せてあげることだと思う』とメディアアーティストの藤幡正樹の言葉を借りて語るナガタ氏。

NFTアートの登場によって、投資目的で所有者が常に流動的に動くことをオープンに見たことで、アートを所有することに疑問を持ち始めた。また「あいちトリエンナーレ」やドイツカッセルで開催されたされたドクメンタ15で起きた作品の撤去やアートマーケット自体が既存の西洋美術史の文脈に自動的に組み入れられるために、自分の言葉やアイデンティーを押し殺しながら表現をすることにに焦りや反発に近いものを持ち始めた。誰のものでもない、匿名性のあるグラフィティーやインターネットを浮遊するアノニマスなアートに着目をした。そして、誰もが表現する権利や自由があることが重要であるという考えに変わっていった。

そこで生み出したのがARグラフィティウェブアプリケーション『STREET WRITER』である。WEBブラウザで誰でもアクセスできることを利点としている。グラフィティはスプレーやペンなどを使ってパブリックな壁や場所などににライターやペインターが文字や絵や記号、名前などを描く文化形態の総称である。

2017年に東アジア文化都市のプロモーション映像でVRで落書きをしたものを、実写の撮影素材に合成をしたアニメーション作品を作った。

夜の街のイラスト

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東アジア文化都市のプロモーション映像

VRでの重たい合成作業からARへ徐々に移行したことは、自然な流れであったと語る。

ARでのグラフィティは、パブリックな場所に実際に描かれることはない。社会問題にもなっている器物損壊にはならないグラフィティであり、スマホがあれば『みんな』が参加できる。全ての人にひらけて、誰もが楽しめる場を作りたいと考えているという。

今回、印象的だったことは、トーチカは遊ぶためのテーブルを用意していて、『みんな』は、そこに乗って想いを表現しているということに誰も気づくこともなく通り過ぎていることである。

PIKAPIKAは光の軌跡で誰もがその場に参加し表現できることを形にした。そこには描くことを身体に置き換え表現することで自分の絵に恥ずかしさを覚えることのない『匿名性』の利点が大いに活用された。今回、ARグラフィティウェブアプリ『STREET WRITER』では、リアルワールド・メタバース上に絵を描くことでインターネットの本来ある情報を届けることを『表現』に置き換えようとしている。

昨今のAIでのアート生成は、言語から導かれたあらゆる情報を集積した結果である。呪文から導き出されるAIによる予測的編集物であリ、間接的表現である。それとは違い、『STREET WRITER』では画面をなぞった誰かの軌跡がインターネットを通して、その場に記録される。これはサーバーというものを通しているが、ダイレクトに表現者の血が通っている。また誰にも平等にできる大きな要素は、ラクガキであることだ。

きっと誰もが通ったイタズラが壮大なテクノロジーの上にできている。

『技術を提供した設計者の想定していない表現の可能性を提示して人の意識に変化をもたらすことがメディアアートの役割である。』と語るナガタ氏。

アートは現在、ビジネスとして活況を迎えているが、本来、表現は自由であり、誰のものでもない、そして、匿名性があるもの。そして、誰でも参加できることが重要であると考えている。

トーチカの持つ、イタズラ心が今回もまさに発揮されていると言えよう。

取材・記事:株式会社Skeleton Crew Studio 石川武志